災害救援ひのきしん隊
新潟教区隊
明治24年の濃尾地震で教団をあげて救援活動を行って以来、地震や台風、豪雨、豪雪、竜巻、火山噴火などの被災地で救援活動を行ってきました。
昭和46年からは都道府県ごとに隊を結成し、有事即応の体制を整備。
「一れつきょうだい」の教えにもとづいて、難儀する「兄弟姉妹」のもとへ駆けつけ、明日への勇気と希望を取り戻してもらえるよう、真心を尽くして作業にあたっています。
また平時には、「いざ」という時のために定期的な訓練を実施し、「おたすけ」の精神を養い、災害救援に必要な知識と技術の習得に励んでいます。(写真は平成28年末の糸魚川大火に際して)
近年の主な出動
災害救援ひのきしん隊は、行政の要請に基づいて、被災地の方を煩わせることのないよう、衣食住の全てを「自己完結型」で出動します。人手による細やかな作業だけでなく、重機を使用した大掛かりな作業も行います。
特に近年は、県や市町村の社会福祉協議会、民間ボランティア団体との連携を強化し、災害発生時には迅速に対処し、さまざまなニーズへ対応できるように努めています。
令和5年 能登地域地震
最大震度6強を観測した珠洲市で、新潟教区隊の10名の隊員が5月27~28日に、石川・富山・福井教区隊などの隊員と共に復旧支援活動に従事。
珠洲市ボランティアセンターからの8件の要請に応じ、瓦補修・外壁補修・シート張り・ゴミ搬出などを行いました。
令和4年 県北豪雨
記録的な集中豪雨により、荒川周辺で大規模な浸水被害が発生した8月。県と村上市・関川村の社会福祉協議会、県災害ボランティア調整会議等と協議し、新潟教区隊は6日に村上市坂町で給水活動を開始。続いて関川村ボランティアセンターと連携し、14日まで延べ129名が、水没品を搬出し、床板を剥し、床下にもぐって泥を除去しました。
その後、2次隊として本部・群馬・埼玉・長野教区隊も出動。27日から月末まで、延べ184名が村上市と関川村で復旧作業を継続しました。
令和2年 豪雪
山間部の24時間降雪量が1mを超える大雪となった12月。関越道での立ち往生は52時間に及びました。
南魚沼市社会福祉協議会の要請を受け、新潟教区隊は特別に支援の必要な家屋で雪下ろしに従事。建物周辺は除雪機を使用して除雪しました。
平成27年 関東・東北豪雨
茨城県常総市の「学校再開を復興のシンボルに」との要望を受け、10教区隊・延べ1250名が市内8つの小中学校と幼稚園で復旧作業に従事しました。
新潟教区隊は石下中学校の学校再開を目指し、校舎内の排水や洗浄、消毒を実施。後日有志隊が同市で再度復旧作業を行いました。
平成23年 新潟・福島豪雨
8月2日から12日にかけて、主に阿賀町に出動しました。
新潟教区隊に加えて、本部や福島・埼玉・東京・石川・茨城・山形・群馬・長野の教区隊が派遣され、延べ700名が復旧作業に従事しました。
吉津地区では重機やダンプを使用して一斉に被災ゴミを搬出。矢沢地区などではボランティアセンターと連携し、隊員が一般ボランティア班のリーダーとなり、汚泥の除去に取り組みました。
平成23年 東日本大震災
岩手・宮城・福島県の被災地へ、全国から延べ3万を超える隊員が救援に出動。宿営地を設け、瓦礫撤去・給水・炊き出しなどに従事しました。
新潟教区隊は3月から7月にかけて5回出動し、有志隊の活動も15回を数えました。200名を優に超える隊員が現場で作業を行いました。
また新潟教務支庁は、西日本の教区隊が現場へ往復する際の中継地点としての機能を連日はたしました。
平成17年 豪雪
19年ぶりの大雪となる中、長岡市滝谷にある中越地震被災者の仮設住宅で除雪活動を実施しました。気温は1度、断続的に激しい雪が降る中、ショベルローダ3台を投入し、トラック32台で雪捨て場へ運びました。
この活動には、群馬・富山・福島・山形の教区隊も駆け付け、98名が作業を行いました。
平成16年 中越地震
主に川口町に宿営所を設置してテントを張り、約40日にわたって活動。作業は給水・被災ゴミ搬出・家屋解体・錦鯉の運搬・きのこセンター復旧など多岐にわたりました。特に相川地区では家屋解体を集中実施。25棟を解体しました。
災救隊が、この地域のボランティアセンターとして機能し、連日5~6件の作業要請を受けました。15の教区隊なども駆け付け、出動数は延べ2200人を超えました。
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